コロナが暴いたものは真の心の欲求。50歳過ぎて一番やりたいことに気付き、動く時の心構え

女性の起業・開業

こんにちは。

飛常識な経営コンサルタント 高橋貴子です。

 

本日は、

「コロナが暴いたものは真の心の欲求。50歳過ぎて一番やりたいことに気付き、動く時の心構え」

という内容にて、お話をしていきたいと思います。

 

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コロナが暴いたものは真の心の欲求。50歳過ぎて一番やりたいことに気付き、動く時の心構え

本日のテーマは、

「コロナが暴いたものは真の心の欲求。50歳過ぎて一番やりたいことに気付き、動く時の心構え」

ということについて、お話をしてみたいと思います。

 

今日の話は、どちらかというと、ノウハウよりマインド寄りのお話で、

なおかつ、わたしがこれまでに色んな人を見てきて感じたことや、

自分自身もそう感じているといった事を中心に、お話をしていきたいと思います。

 

この動画を撮っているのは、コロナ禍が始まった2月くらいから、

約7ヶ月が経った時期という事になります。

今回のコロナ禍に限らず、大きな環境の変化というのが、自分の望む形ではない理由で起こる事もあります。

自然災害だけではなく、家族の状態が変わったり、

親の介護が必要になるなど、家庭での環境が変わる時でも、

これは全く同じ考え方ができるのですが、

今回のお話は、社会的な変化で、強制リセットのような状態になった時に、

どういう気持ちを持って、どう行動していったら良いのかを、お伝えしてみたいと思います。

 

特に最近、そういった環境の変化に、どう向き合えば良いのかについて、

悩んだり、考えたりする方が多いので、ご覧になってみていただければと思います。

 

自分の人生を生き始めるのに、遅いという事はない

まず、50歳という年齢をどうとらえるかをお伝えしたいと思います。

40歳代は、わたし自身も独立をしたという事もありましたので、

40代は、とても変化に富んだ時期でした。

 

そこから、あともうひと頑張りということで、

10年がんばったら50代、といったようになりますが、

人生80年、90年と言われる今、

折り返し地点がちょっと終わったくらいが50代なのかなというイメージですね。

 

わたし自身も今、50代を過ごしている訳ですが、

歳を重ねていく毎に、できる事が増えていって、時間を自由に使えることもできて、

どこかに行くとか、誰かに会うという自由が増えているなと感じます。

 

歳をとる事への恐怖や、制限がかかるといった残念な気持ちになる事は全くなくて、

たとえば、49歳で始めたのがサックスなのですが、

これが思った以上に楽しくて、パーツなどなどを、

大人になってから始めた、習い事の特権で(笑)

親の許可がなくても自分で好きに買える訳ですよね。

そういう制限が外れるのが50歳代ですね。

※ちなみにこちらの写真は、最近スタジオでプロのフォトグラファーさんに撮影してもらった

モデル風のサックスプレーヤーのイメージです。(笑)

 

他にも、家庭環境が変わったり、体力の衰えを感じる時期かもしれません。

わたしはあまり体力の衰えは感じないのですが、

人間は、そういった歳を重ねていく事によって、人生の先を感じるようになってくると、

「こうすれば良かった」といった後悔をする事もあるかと思います。

 

その時、本当は私は何をやりたいのだろうという、

子育てもしながら、自分自身を内観することもあると思います。

それに少し関係する部分もあるますが、

最近では、クライアントさんの離婚の話を聞く機会も増えました。

 

ここで離婚の良し悪しを伝えるつもりはないのですが、

自分の人生を選ぶ上で、正解や不正解はないと思うのですね。

 

折り合いをつけなければいけない部分はあるかと思いますが、

この時期において、自分が本当にやりたい事や、

生きたい人生に気付いたら、そちらに行くのが良いのではないかと思います。

 

それこそ、起業して、人の役に立って、お金も稼いで、というのは、

学ぶ気持ちさえあれば、50歳でも60歳でもできる、というのが私の考えです。

 

こういった、人生の中で大きな環境の変化が起こると、

人は大きく、2つに分かれると言われていますね。

アイスランドで起こった火山噴火、その時、人は2つのパターンに分かれた

「仮想空間シフト」という本を書いた、山口さんの本から、

抜粋をしてお話をしてみたいと思います。

内容は、以下のようになります。

 

1973年1月23日、アイスランド沖のヴェストマン諸島に属するヘイマエイ島で突然に火山の噴火が起きました。

幸いにして島の住民のほとんどは無事に救出されますが、その後、噴火は5ヶ月の長きにわたって続き、島民の3分の1が家屋を失うことになりました。

溶岩流に飲み込まれる、あるいは火山礫(れき)や火山灰に埋もれるなどして失われた家屋を再建するには莫大な費用がかかります。

不幸にも家屋を失った人々は別の住居を再建することを余儀なくされたのです。

溶岩流に家屋が飲み込まれたり、火山礫に家屋が破壊されたりするのは純粋に確率の問題です。

これはつまり、この噴火によって家を失った人と、家を失わずにすんだ人とのあいだに何らかの能力的・資質的な違いがあったわけではなく、ただ単に「運の良し悪し」という違いしかなかった、ということです。

最終的に、家を失った人には政府から補助金が支給され、それで島の別の場所に家を建ててもいいし、どこか別の場所に移住しても良いとされました。

ヘイマエイ島は長らく漁業で栄えた島です。

家屋を失った島民のほとんどは先祖代々、家業として漁業を営んできた家に生まれ、本人もまた漁業者として人生を送ることを当たり前の前提として噴火の直前まで生きていました。

そんな彼らが「噴火によって家を失う」という契機によって、「自分はこの先、どう生きるのか」という問いに向き合わざるを得なくなったのです。

そして最終的に、噴火によって家屋を失った人の42%が、島を出て、漁業という先祖伝来の仕事を捨て、別の人生を生きることを決断しました。

さて、興味深いのはここからです。

アイスランドは非常に小さな国ですが住民の統計が極めて正確に記録されており、納税その他の記録を使うことで、このときヘイマエイ島に居住(きょじゅう)していた人々が、その後、どのような人生を送ったかを精密にトレースすることができます。

そして、このような契機が、個人の人生にどのような影響を与えるかを調べた研究者は、家を失って島を出ることを決断した人々の生涯収入が、島に残った人々のそれを大幅に上回っているということを明らかにしました。

要因の仮説はさまざまに立てることができます。

例えば島を出たことで大学進学の確率が上がったのではないか、あるいは漁業以上に適正のある仕事を見つけられたのではないか等々。

しかし、どれもこれもすべて噴火という「短期的には不幸な契機」によって、「この後、自分はどのようにして生きていくのか」という問いにしっかりと向き合わざるを得なくなった、という唯一の根本原因によっているのです。

彼らのほとんどは、噴火によって家を失うということがなければ、島に住み続け、彼らの先祖と同じように漁師としての人生を全うして人生を終えたでしょう。

そしてさらに、この研究が明らかにした別の興味深い点があります。

それは、幸運なことに噴火によって「家を失わなかった人」の27%も、補助金をもらわずに島を出るという決断をし、そしてこの人々も、島に残った人々に比べて最終的にはより豊かな人生を送った、ということです。

この人たちがなぜ、家を失わないまま、先祖伝来の職業を捨て、島を出て新しい世界で生きるという、大きなリスクを背負う決断をしたのか、それはわかりません。
おそらく本人にも答えられないでしょう。

ただ、確実に言えることは、噴火というきっかけによって彼らが「この先、自分はどのようにして生きていくのだ、これまでの人生を続けて、それでいいのだろうか」という問いにしっかりと向き合い、おそらくほとんどのケースは直感的に「それは違う」という判断を下した、ということです。

社会経済学者の世界ではよく知られるこのケースは、アフターコロナをどう生きていくのかを考えなければならない現在の私たちに、深い示唆を与えてくれると思います。

私たちが直面しているコロナの危機は、ヘイマエイ島の噴火と同じく、短期的には不幸なインシデントでしかありません。

そしてヘイマエイ島の住民と同じく、インシデントがもたらす「負のインパクト」は人によって大きな差があります。

隣同士の家の片方が火山礫(れき)によって粉々に砕かれた一方で、もう片方は傷ひとつない、といったことが起きたのと同じように、コロナによってある企業は破綻に追い込まれた一方で、ある企業は逆に売上や利益が改善するということが、すでに世界中で起きています。

急速に進行する予測不可能なパニックによる影響ですから両者を分かつのは経営力でも現場力でもない、つまるところ「運」としか言いようがないものでしょう。

そして、それぞれの内部にいる人々は、いままさに「運が悪かった」あるいは「運がよかった」と一喜一憂し、そして一刻も早く、ふたたび穏やかな「日常」が回復することを望んでいます。

しかし、私たちは本当に「かつての日常の完全な回復」などを望んでいるのでしょうか。

私たちの社会、あるいは私たち一人一人の人生に、何の問題もないと自信を持って答えられる人はこの世界に1人もいないでしょう。

であれば私たちは、まさにヘイマェイ島から出るという決断を下した人々が、噴火後に「自分はこれからどう生きていくのだろうか」と考えたのと同じように、「これからどのような社会を築いていくのか、これからどのように生きていくのか」という問いに向き合わなければならないのではないでしょうか。

このカオスに怖気(おじけ)づいてひたすら「日常性の回復」を求めるか、このカオスに乗じて人生の再設計を図るかは最終的にみなさん次第です。

噴火後も島に残った人にとって、噴火は単に忌まわしい出来事でしかないでしょう。

しかし、噴火後に島を出た人にとって、噴火は、自分の人生が持っている豊かな可能性に気づかせてくれたきっかけという意味を持っているでしょう。

彼らが抱く「噴火の意味」の違いは、「噴火前の人生」によってではなく「噴火後」の生き方によって生まれています。

つまり「未来によって過去が変わった」ということです。

「過去」は「これからをどのように生きるか」次第でいくらでも変えられる、ということです。

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このお話から分かるのは、噴火によってより良い人生になったのか、

それとも、日常の回復という方向で生きる人生になったのか、という事ですね。

未来から過去を作るというお話を、私はよくするのですが、

わたしは割と、コロナ禍という事でオフライン(対面レッスン・セミナー)が無理だとなった時に、

すぐにオンラインに切り替えて、ビジネスを進めていました。

 

しばらくして、オフラインが一定的に戻ってくる時期がくれば、

もともとオフラインは好きなので、やろうと思いますが、

今はできないので、すぐにオンラインにシフトした方がビジネス的には良いですね。

 

ですが一定数の先生は、コロナが終わることに賭けて、

苦手なオンラインを避けるという事をする先生もおられるのですが、

まず、コロナのような大きな環境変化が起こった後は、

元の生活には戻れないということを受け入れて、

それに順応して生きていくことを考えなくてはいけないのですね。

 

たとえば、仮に対面でできる時期が来たら、

それまでオンラインを必死にやった人は、オンラインとオフラインの両方ができる状況になります。

 

そういった選択によって、

起こった事象は同じなのに、未来が変わるという事になるのですね。

そうすると、コロナが忌まわしい過去になるのか、それが良い転機になったのかという、

道が分かれるという事が起こるのです。

 

わたしは、そもそもオンラインが流行っていくだろう、数年前から予測していたので、

以前からオンライン化の準備をやっていたのですが、

個人的に、オフラインならではの熱量を感じられるのが好きなので、オフラインでの活動が主でした。

 

ただ、準備はしていたので、オンラインへのシフトチェンジは楽だったのですね。

コロナは色んな人に打撃を与えていますし、わたし自身の生活も大きく変えることになりましたが、

その事象を、どうとらえて、どう活動していくのは、その方自身なのです。

 

自分自身の真の欲求に、耳を傾けてみませんか?

嘆いてそこで止まるのか。

それとも、今の自分にできる事は何か?

 

アイデアを出して出してとやっている人は、環境の変化が起こった後でも、問題なく動けていますし、

経済も、必要とされるビジネスやサービスが、どんどんできているのですね。

 

先ほどのアイスランドの火山の話では、

外の世界に出て漁業をやめたことで、新しい世界を手に入れることができた、

という事象がありました。

 

50代というのは、そういう大きな環境の変化が起こった際、

自分のこれからの人生を考え、動いていかなくてはいけないと思います。

その時に頼れるのは、自分の真の欲求です。

 

世間体であったり、誰かに言われた事であったり、

こんなことを言うと旦那や子どもに怒られるといった、

そういった状況を取り払って、やりたいことを素直に、欲求に従ってやる、

というのが、この時代の新たな生き方なのではないかな、という事を感じています。

 

ある意味、自分の居心地の悪い場所は選択しなくていい、とわたしは思っています。

 

人はそれを我儘と言ったりもするのかもしれませんが、

世の中はどんどん変わっていくものです。

 

そこに長くいた方がいいという価値観は、昔の価値観である可能性もあるのですね。

 

ですので、肩書が変わっていく人も、この時期には多く出てくると思いますし、

フラットに、自分が今、どういう風に生きたいのかというのを素直に表現していい時代が、

コロナによって暴かれた、と言えるようになったのではないかな、と思うのですね。

 

制限されたからこそ、本当は自分でどうしたかったのかが見えたのが、

コロナだったのではないでしょうか。

 

教室業に関して言えば、開業したいという人はどんどん増えてきていますし、

もうひと頑張りしたいという先生と、あきらめる先生に、二極化しているのも感じます。

 

これからの時代に、どう生きるのかという事を考えた時、

基本的に、現状維持というのは、衰退なのですね。

原動力を推進し続けて、前に進むという事ができるので、変化に対応することが必要になるのです。

 

ですので、50代になって、やりたい事に気付いた時には、

「やりたいようにやりなさい」というのが、わたしの感じていることですね。

 

後悔しない人生が一番、良いと思います。

 

世間体とか、妻である立場とかを考えすぎると、自分の人生が悲しくなります。

自分の進みたいように進むのが、ある意味、正しい生き方ではないかなと思っているのですね。

 

もちろんこれは、あくまで個人的なお話です。

共感できる人は、共感していただければと思って、

急遽、動画を撮ってみました次第です。

 

コロナが暴いたものは真の心の欲求。50歳過ぎて一番やりたいことに気付き、動く時の心構え まとめ

今回の内容をまとめますと、コロナが暴いたものは新の心の欲求。50歳過ぎて一番やりたいことに気付き、動く時の心構えというのは、

後悔しない人生を生きるために、自分の本心に耳を傾けて、

ご自身の本当にやりたい事を、確認してみていただくという事ですね。

 

それによって、このコロナ禍がただの不幸な過去だったのか、

それとも、自分の人生に向き合う、ある意味では良い転機となったのかという考え方で

過去が変わることになるのではないかなと思います。

 

ぜひご参考にしてみてください。

 

今回の記事を、動画でご覧になりたい方はコチラ

 

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