【保存版】必ず夢が叶ってしまう!タカハシタカコ的 ガテン系飛常識な人生思考

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本日は、

「【保存版】必ず夢が叶ってしまう!タカハシタカコ的 ガテン系飛常識な人生思考」

という内容にて、お話をしていきたいと思います。

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【保存版】必ず夢が叶ってしまう!タカハシタカコ的 ガテン系飛常識な人生思考

本日のテーマは、

「【保存版】必ず夢が叶ってしまう!タカハシタカコ的 ガテン系飛常識な人生思考」

ということについて、お話をしてみたいと思います。

 

保存版と書いてあるのは、

今回は現状までの過去のストーリーを語ってみようと思っているからです。

 

私のような、願いが全て叶う人生を送りたいと思っている人に、

エールを送りたいという気持ちでお話をしたいと思っています。

ですので、少し長くなってしまうかもしれませんが、

必要な所だけエッセンスを聞いていただくだけでも良いかなと思います。

 

 

この話をするきっかけとなったのは、

ここ2年くらい、色んな所でお話をしていることがきっかけです。

特にクラブハウスでのお話ですね。

 

みなさん、私の事を称して、男前、カッコいいといったご感想をいただきます。

私も、自分自身がスパッといい切ってお話をしているので、

その辺りが共感されているのかなと思います。

 

 

それとセットで、ほぼ100%言われるのが、

「昔からそうだったのですか?」、という質問です。

 

こちらについて、私自身の記憶の部分では、

小学校一年生くらいから、このような感じだったと、記憶しています。

さらに学生、社会人があって、現在に至るのですが、

おそらく、家庭環境なども関係していますね。

 

物心が付いたころからこんな感じだったので、

どういう思考で生きてきたのかという部分についてお伝えすると、

まず夢を叶えるのに一番大事なのは、お金だという事です。

 

お金によって、選べる選択肢の数が変わってきますので、

お金がなくて自分で掴みながら生きてきた人生でした。

 

 

家庭環境によって身に付いた思考

私の今の状態を見ていると、願ったことが全てかなっているように見えていると思うのですが、

それは確かにその通りで、間違っていません。

 

本も、年に2回出版したいと言えば、実際に出版していますし、

サックスも吹けるようになり、ライブツアーもやりたいと言えばやれるようになっています。

家の全面改装もできていますし、行きたい場所に行きたいと言えば行けます。

 

これは、自慢をしたくて言っているのではなく、

誰にでも本来できるものだという事をお伝えしたいのです。

 

 

私の人生のテーマ、ミッションに近いもの、

それは「自由」です。

自由を手に入れたくて、いつでも、もがいて生きてきました。

なぜなら、幼少期から学生時代まで、本当に自由がなかったからです。

 

自分の時間も部屋も、食べるものも困窮するような家庭環境で、

不自由だったのですね。

多くの同年代の人が普通に手に入れていたものが、私には無かったのです。

 

早い内にアルバイトもしないと、学習教材も買えませんでした。

ですので、お金を稼げば、とにかく全て勉強のために使っていました。

 

なぜなら、賢くなる事がその当時の私が思いつく人生の優先事項だったからです。

頭が悪い大人になると、お金が稼げないと思っていたのです。

勉強して早く家を出て、早く稼げる様になりたかったのです。

 

 

それくらい、もう嫌になるほど自由がない家で、

お金がなく、弟の面倒も見ていました。

 

ですが人生に諦めは持ちませんでしたし、

どうにかすれば現状は変えられると思っていました。

 

そういう環境から育っていたので、お金に対して特にブロックがなかったのです。

特に稼がないと、単純に生活が苦しくなる、それが嫌だったという人生を送ってきました。

 

つい先日は、感情価格術という本を出版しました。

私に価格のマインドブロックがないのは、

最初から稼ぎたい気持ちがあったからなのです。

 

お金を、正しくしっかり稼ぐというのは、私にとって当たり前だったわけです。

だから営業職も向いていたのだと思います。

 

 

そうやって生きてきて、自由が私の人生のテーマので、

「liberty」(自由)のLが、全ての関連会社名にも入っています。

 

小学生時代から、今と変わらない思考を持っていた

母は、お見合いで父と結婚したことによって、大変な人生となりました。

自堕落な父だったので、母はものすごく働くことになってしまったというのがあって、

私自身が、いわゆる世間一般的な青春を過ごせなかったな、というのはあります。

 

だからといって、私はグレることもありませんでした。

逆に言うと、グレる暇すらも惜しかったからです。

 

私はとにかく生きるのに必死で、一番、欲しかったのは自由でした。

自分で選択ができる人生を手に入れたかったのですね。

だから、貧乏とか、お金に支配されない自由を手に入れたいと、

幼少期から考えていました。

 

 

マインドブロックは、私にはそんなブロックなど必要がない人だからです。

マインドブロックがあるかないかの大きな違いはそこだと思いますね。

 

それと同時に、お金は手段であって、目的ではありません。

私の人生の目的は、行きたいところに行き、会いたい人に会い、やりたい事をやり、

そして、幸せにしたい人を幸せにすることです。

 

もう一つは、母のような女性を生み出したくないという事です。

 

母は、ものすごく仕事のできる人だったと思います。

いろいろな事情で父と結婚することになってしまったのですが、

別れたいと思っても、お金がなくても離婚ができなかったのですね。

 

 

お金がないから、選択ができなかったという事です。

そういった母を見てきたので、そもそも、そういう人と結婚をしてはいけない、

というのが大前提としてありますし、結婚に夢も見ません。

結婚を、良いものだとは全く思っていないからです。

ーーーそういう意味では歪んだ人生観ですよね。(苦笑)

 

母が離婚できなかったのは、私たち=子どものせいだという事も思っていました。

子どもがいると、大事な時に選択ができないと思ってしまう事もあって、

高校の頃に、子どもは要らない、産まないと決めていました。

私は、私たち(私と弟)という子どもがいたから

母は離婚できなかったと思っていたのです。

 

ですので、自分が結婚するなら、子ども欲しいとは言わない人で、

父が自堕落な人だったので、普通に真面目に仕事をする人。

そして、父が料理もやらない人だったので、料理をする人が良いとも、

思ったりしていました。

 

 

こういったちょっと歪んだ思考を持っているのは、なぜかというと、

そういった家庭環境だったからというのがあります。(苦笑)

 

だから、家族についての良い記憶ってないのです。

お金がないという記憶と、そこを抜け出したいと思っていたという、

2つくらいしかありません。

 

ラッキーだなと思うのは、それが原因でイジメられるようなことはなかったという点ですね。

女子グループとも、男子グループとも、良い距離感で、付き合っていました。

ちょっと達観していた部分があったのかもしれません。

 

仮に誰かが私にちょっかいを出してきたら、5倍や10倍返し、

売られたケンカは100倍くらいにして返す気合が入っていたのも、

あったかもしれません。

 

心の中に燃える炎があって、オーラになって外に出ていたのかと思います。

だから、イジメられている子も庇っていたりもしました。

 

 

そもそも、生きている人生の重さ、当時からすでに違っていたのです。

こっちは食べるのにも困って、今こうやって生きているんだけど、という気持ちがあったので、

人は人、私は私という、区別と区分けをする人生になっていたのですね。

 

自由を手に入れるために、全てに全力を注いできた

職業についても、早い内から考えていました。

いろいろな職業を見ましたが、そもそも学ぶのにお金がかかりそうだという事で、

選択肢が狭いと感じていましたね。

 

塾に行くのも、私の世代くらいからは当たり前になっていましたが、

親に下駄を履かせてもらって、良い成績が取れているという、

親のお金で勉強させてもらっている人と、

自力でやっている私のような人が、なぜ同じ土俵で勝負をさせられるかと、(受験など)

中学校の頃から思っていました。

世の中って理不尽だなと、思っていたのです。

 

 

本当に、親のお金で嫌々ながら塾に行っている人を見ていると、

そのお金を私にくれと思っていました。

そしたら、もっと良い成績を取れるようになるのに、と思っていたのです。

 

それもこれも全て、私は、お金を稼ぎたかったからです。

この嫌な生活を脱するには、お金、賢さ、力がないと無理だと思っていたからですね。

 

こういった変わった人生を過ごしている根幹にあるのは、折れないマインドです。

食事について、卵かけご飯を朝昼晩と7日間くらい、食べ続けていたこともあります。

小学校の頃です。

 

ですので、母親が作ってくれるご飯に文句を言ったり、

お菓子のことで、アレコレ文句を言うという話も聞きますが、

そもそもお菓子って、食事以外で嗜好品としてお金がかかりますよね。

 

私は、母親が料理をどう作っているのかを、あまり見ませんでしたが、

倒れなければ良いという、お腹を満たせたらいい、というレベルで食事をとらえていました。

だから一家団欒なんて言葉は私の中では全然実感がわかない、不思議な言葉の一つでもあります。

 

 

そういった、母がどういう姿で、

必死に私たちを育てようとしてくれていたのも見ていましたし、

父がその母親に、言葉の暴力を浴びせたり、私たちに10時間正座をさせて説教したりと、

意味の分からないことも経験しました。

 

だから、黙って聞き流すという生存能力が、高校生の頃には付いていたりもしました。

 

母の姿をそうやって見ていたので、必死に生きるというのが人生の指針なのです。

ですので、幼少期からの経験で、食にコンプレックスがありましたね。

 

そういった経験から、好きで食のことを仕事にする方には、

生徒さんも先生も幸せになれば良いと思っています。

私自身が、パン教室など、食に関する仕事をしていたのは、

心の底からパンや食が好きなのではなく、マーケティング的にやっていたからです。

 

 

当時、パンこね機の営業職をやっていたからパンの知識があった。

独立するなら知識があるもので独立した方が有利。

だから、パン教室にした。それだけです。

食は実は一番苦手な領域です。

 

だけど、それが独立の近道だったので

あえて食の業界で勝負をするパン教室の開業を選びました。

 

人生に、覚悟を持って向き合う

高校時代は、それまでの成績が良かったので、

あしなが育英会など奨学金をもらっていました。

10年かかって無利子で返済するというものだったと思います。

 

部活については、何をやるにもお金がかかりますよね。

ですので、親御さんが好きな部活をやらしてくれる環境にある人は、

道具が買えることに感謝して部活をやって欲しいと思います。

どの部活なのかによって、かかるお金も違ってきますね。

 

そんな高校の時に、人生の挫折を経験しました。

高校はめちゃくちゃ進学校だったのですが、地域の中学では学年1番や2番の成績でも、

頭のいい人が集まる高校だったので、どんなに頑張っても真ん中くらいになるのです。

 

 

これが初めての挫折でした。

頑張って頑張っても、こんなに頭の良い人がいるのかと思ったのです。

その時、同じ土俵で戦ってはいけないと分かりました。

 

勉強ができても、商売の才能がない人はたくさんいますし、

一方で、自力で何かを生み出したり、考え出すことができる人など、

商才を持っている人もいます。

 

私はそういう人になりたいと思ったのです。

学歴で勝負するのはムリだと悟ったからです。

 

高校当時、隣の席にチャラチャラした服着た男子がいて、

でも成績が圧倒的に良かったのですね。

あー、見た目もやることができてるならどうでもいいんだって思いました。

だから、人と同じことをしない、飛常識という考えで、

埋もれないというのが大事だと思っていました。

 

だから、自分の夢に正直に、

自分の手で掴み取るというのが大事だと感じたのです。

 

その後、高校卒業後は、ツアコンになりたいと思ったのですが、

高校時代はみなさん頭が良かったので、通常は大学へ進学します。

ですが私は旅行会社に務めたかったので、直結する専門学校で良いと思いました。

 

旅行の専門学校があって、就職率100%と書いてあったので、

良い大手旅行会社に行こうと思っていたのですね。

 

ところが、これがまたお金が大変でした。

専門学校の学費が200万円です、

 

 

家にはお金がなく、父親は自分が借り入れて用意すると言いますが、

絶対に無理だろうと思っていました。

それぐらい父親の言葉に信頼は1ミリも持ってませんでした。

なんども何度も嘘をつかれたら信じることなんてできなくなります。

 

だから、自分でも資金調達の方法に保険をかけて、新聞奨学生の面接を受けていたのです。

それで2年間勤めあげたら、150万円がもらえるという内容です。

 

行きたかった旅行の専門学校についても、偏差値が高くなかったので、

頑張れば上位にいられると思い、特待生で50万円というのを取ろうと思っていました。

 

できるか、できないかではなく、やるしかないのです。

これはプランとして危うい状況でした。

特待生になれなかったら、50万円が足りなくなるので、危ういプランです。

 

ですが、絶対に取ると決めて、この時も実際に特待生を取っています。

私は幼少期からずっと、先に欲しい未来を決めて、

そこにチャレンジするだけの人生だったのです。

 

そんなのできなさそうとは、最初から思いませんでした。

 

人生で、体力的にも精神的にも、最もきつかったのは、

その2年間の新聞配達の時代です。

品行方正、成績優秀じゃないと、特待生も取れないので、

新聞配達をしながらの特待生は、快挙だと言われました。

 

国家資格も8個、取りました。

高校生の頃に、自力で勉強していたから、

専門学校の中でも資格を取る勉強の仕方を知っていたのですね。

 

結果として、お金は作ることができたのですが、

その新聞配達をやっている時代でも、マインドを強くする出来事がありました。

 

人生は、いつ終わるか分からない

新聞配達をやっている当時、

部屋にお風呂もなく、寮のようなボロアパートで暮らしていて、

夜に専門学校の宿題をやっていた時の事です。

 

ある時、寝落ちしてしまったのですが、

当時の部屋の鍵はモノロックか何かで、簡単に入れたのだと思います。

夜中に、人の気配を感じたのです。

目を開けたら、目の前に男の人の顔がありました。

 

声を出そうとしたら、相手の人が首を絞めにかかってきて、

ここで死んだら私の人生は可哀そうすぎると思い、

包丁はどこにあったかなど、一瞬で頭が回転し、応戦する決断をしました。

正当防衛で、戦おうと思ったのです。

 

結果、私が暴れて蹴って、急所にあたって相手の男の人は逃げて行ったので、

逃げた先の足音を耳を澄まして聴いていました。

 

その音を聞いていてその歩数から、隣の人だと分かりました。

その後、すぐに警察に電話をして、中国からの留学生で

精神異常の人という事で示談で終わりました。

 

そして、この事件をきっかけに、決定的に父親と離別をすることにもなりました。

警察で事情聴取を受けている私の所へ来るやいなや、父は、

開口一番、「殺人未遂は示談金がすごく取れるらしいぞ」

と最初に言ったのですね。

私の心配ではなく、お金をむしり取るアイデアを考えていたのです。

 

 

その時、私は、この人と縁を切ると決めました。

 

世の中に、こんな人間がいるのかと思ったのです。

一番の復讐は忘れることだと思うので、普段は記憶から消えています。

当時は、血が煮えたぎるほどでした。

私の心配よりお金なのかと思ったのです。

 

私がそんな思いをして、ようやっと特待生を取って、

そのお金が入金されたと聞いて、それを貸してくれという相談も父からされましたが、

絶対に嫌だと思って断りました。

 

それが父と話をした最後ですね。

 

そういった負の原動力もありましたし、

命の期限も、誰かによって終止符を打たれるというのも実感したので、

「人の目は気にせず、自分のやりたい事をやる」と、18歳の頃に決めたのです。

 

 

お金を稼ぐけど執着をしないのは、

父がお金に執着する人だったので、真逆の人生を生きたかったからです。

子どもは要らないと決めたのも、母が離婚できなかったからです。

経済力がないのはこんなにも残念な事なのかと思ったから、稼ぐと決めました。

 

だから、好きなように人生を生き、

人の目も、人の言う事も、気にしません。

 

人の目や、人の声は、私の人生を助けてはくれないのです。

外野は言うだけなので、耳は貸しません。

 

助言してくださる方のお話は聞きますが、

自分が好きなように生きています。

 

ただし、プロフェッショナルになる事も決めています。

どんな職業になっても、そこを目指すのは同じなのですね。

 

タカハシタカコができるまで

人生観も、やり遂げる力も、反面教師としての父がいたからというのはあります。

そのため、様々な仕事も経験してきました。

 

 

一度、新聞配達で体調を崩して、家に帰らないといけなかった時には、

パーティコンパニオン、スナックなどのホステスの仕事もしたことがありますね。

 

その時に学んだのは、

初対面でも、その人が何を望むかに話を合わせて、出しゃばらないという事です。

ヘルプとして、気持ちよく繋ぐという事ですね。

 

そして、指名されない事も大事だと思っていました。

指名されるとお付き合いが大変になるからです。

同伴やアフターもありますが、面倒だったので、

座った数分間だけ話をして去っていく、という形を好んでとってました。

 

あの仕事も大変だなと思いますが、

人生的にはいい経験だったとは思います。

 

とにかく、稼いで生きていくのに必死だったのです。

そういう風にしているので、何でもトライし、何でもやり切ります。

なぜなら、人には命の期限があるからです。

 

 

その結果、今の高橋貴子が出来上がっていったという事ですね。

 

夢は、叶う事が分かった上でチャレンジするということではなく、

やりたい事に向かって、何でもチャレンジするしかなかったという方が正しいです。

 

だから、それによって楽しく夢を叶えて、

そこで得た喜びや経験、知識は、分配していきたいとも考えています。

こうやってYoutubeで話したり、文章でお伝えするのも、

それによってだれかの人生が触発されて、ご自身を変えることができたら素晴らしいですよね。

 

母のような残念な状況になった人が、

お金を手にして、簡単に別れて人生を変えられるなら、それが良いと思います。

 

離婚したい人、多いですよ。(苦笑)

離婚したいから起業する人もいますし、

もう離婚したから起業する人もいます。

 

私は、人生を人に依存するのが嫌だったので、

たまたま相手がお金持ちだったら良いのですが、

自分が、いくらでもお金を生み出せる知恵を

バイタリティを持っている方がよほど良いよね、

という思想です。

 

 

こういう人生を送ってきたので、

すでに子どもの頃から、今と変わらない思想だったのです。

 

夢は、必ず叶う

私のコンサルティングと相性が良いのは、

家族のため、あるいは自分の人生のために、覚悟を決めている人かなと思います。

 

大変な旦那さんとずっと一緒にいるのは、あなた自身も、お子さんも、

大変だと思います。

時には、子どもために離婚しないと言いながら、本当は一人で家を出て生活するほど、

自分に自信がないからではないですか、

という若干キツメな話をすることもあります。

 

それは私自身が、

人生の選択肢を減らしてしまう事を、身をもって体験しているからです。

旦那さんは、そういう奥さんや子どもを生み出さないようにして欲しいなと願います。

 

 

要は、私の人生は、わがままで自分勝手なのかもしれませんが、

私は私の人生を楽しく生きていますので、

母にとっては実はそれは良い事なのかなと思ったりもしています。

ある意味子供の幸せは親にとってはうれしいもの。

そういう意味ではこれが親孝行なのではと思います。

 

だから、なぜ私は夢をかなえられるのかというと、

夢は絶対に叶えると決めていますし、その夢に向かって動き出した瞬間に、

叶うのが決まっていると突き進むからなのですね。

 

いったん、そういう夢を追ってみたい人は、

その重さを言葉に乗せて語ってみると良いと思います、

 

【全て、叶います。】

 

叶わないとしたら、自分を信じていなかったり、

具体的な行動に細分化できていない、

あるいは、いわゆる常識の中に縛られているからだと思います。

 

 

そして、もしここまで聞いても「それは高橋さんだから」と思う人は、

あなたの人生は、そういう人生だと自分で決めているという事です。

 

夢を叶えられていない自分がいるなら、過去の自分がそういう思想だったから、

という事なのですね。

基本的に、夢を叶えるのは簡単なのです。

 

夢は、諦めなければ叶います。

期限が来るなら寿命、

だから、夢に向かって前のめりに死ぬのは良いかなと思っています。

 

いきなり大掛かりに変わる必要はありません。

まずは、夢と希望を持つことで、それを誰かに話してみることです。

私に言ってくれたら、いいねと言いますよ。

 

私は、特殊な人間だった訳ではなく、

絶対に諦めなかったのと、全力で努力したというだけの事なのです。

 

 

私は、自分の意志に向かって、正直に生きてきました。

そうやって生きてきたことだけは、自信を持っています。

ぜひご参考にしてみて頂ければと思います。

 

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