こんにちは。
飛常識な経営コンサルタント 高橋貴子です。
本日は、
「タカハシタカコ的 ヲタクなパン作りよもやま話」
という内容にて、お話をしていきたいと思います。
飛常識な教室集客コンサルタント高橋貴子
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タカハシタカコが、飛常識なパン教室を作ることになったストーリーとは
本日のテーマは、
「タカハシタカコ的 ヲタクなパン作りよもやま話」
ということで、お話をしてみたいと思います。
今日はどちらかと言うと、番外編のお話になります。
著書やブログで何度か触れていますように、私は現在はコンサルタントとなっています。
それ以前は、パン教室を6年ほどやっていましたので、その経験から、教室集客の全般を見ているのですが、
今日は会社員からパン教室を始めた際に、どれくらいパンのオタクだったかを、(笑)
お伝えしてみたいと思います。
コンサル生さんも、私の過去を知らない方は、
私がどんなパン教室の先生だったか想像できないと言いますし、(笑)
これからどういう方向性で教室をしていきたいかに迷っている教室の先生にも、
ご参考になるかなと思います。
なぜ私は、パン教室を立ち上げたのか?
そもそもなぜパン教室だったのかと言うと、
会社員時代の最後の仕事が、パンこね機を販売する会社の営業部長だったからです。
私はもとから、新しい事にチャレンジするのが好きな性格で、
パンこね機の会社の前は、建築業界にもいて、インテリアコーディネーターとしても仕事していました。
建築業界でインテリアコーディネーターになったのは、
幼少時代にすごく貧しい家で暮らしておりましたので
自宅の家の中で、インテリア的にこうしたいああしたいというのが、全く叶わなかったということもあるかもしれません。
お友達の家に行くと、一軒家で子ども部屋なるものがあったりしたのですが、
我が家は、6畳二間といった状況で、部屋の端っこで勉強したりしていました。
余談ですが、勉強したい時って、集中したいと思うのですが、今ならスタバに行ったりもします。
私はそういった集中力については、かなりある方だと思うのですが、それは幼少期に、そういう環境だったからかもしれません。
そういった過去があったので、インテリアコーディネーターになってみたかったということもあります。
私は、仕事を決める時に、まず自分がやってみたい仕事ありきで考えるのですね。
そのために新しいことを学ぶのはとても楽しいですし、新しい環境で人間関係を作るのも、苦にならないのです。
ではなぜ、そんな私がなぜパンこね機を販売する会社に転職したのかと言うと、
その前の会社で働いているとき、営業部長として頑張れば頑張るほど、
社内での地位が上がっていきました。
そうすると、上層部と意見が食い違ってくるようになります。
私自身は、もともと長い物には巻かれろという体質は合わなかったので、息苦しくなってきたのですね。(笑)
その際、登録していた転職支援会社のリクルートエージェントから、
「これから新しい事業部を立ち上げるとい案件があって・・・」という話があり、
そこで、パンこね機を販売する会社と出会ったのです。
パンは科学、という大地先生との出会い
パンコネ機の製造販売会社の面接の際に、その会社の社長に実際に言ったのは、
「新しいものに挑戦するのが好き」という事と、
「この世にまだ誕生していなくて、人に役立つものを広めていくというミッションに惹かれた」という2点でした。
それに加えて、「私は一度もパンを作ったことがありませんが、パンこね機を売っていくためにパンの知識は、これから覚えきりますので、安心してください!」
といった話もしましたね(笑)
その日から、その言葉通りに、私は、パンオタクになっていきました。
あ、誤解の無いようにお伝えしますけど、
当時の私の本業は「営業」です。
でも、パン作り無くして商品の説明はできないと、本当に作りまくりました。
会社の工場で実験と称して、1日に6斤とか10斤の食パンを作るのも普通でしたね。
私の部下は、マクドナルドの元店長や自然食品店の店長だったので、
スタート時に一番、食品の知識がなかったのは私だと思います。
今なら当然わかっている話ですが、
当時、ちょっとお恥ずかしい話ですが、薄力粉と強力粉の違いも分かっていなかったのですね。(笑)
そして、その会社のパンこね機はちょっと変わった特徴がありました。
会社のパンこね機を設計した方(大地修造先生)が、もともとエンジニアの方で、ご自身身体を悪くした際にパンを食べることになり、毎日毎食でも食べられるようにと、パンこね機を作ったことです。
奥さんが毎日手ごねでパンを作るのは大変だったから。
つまり、科学者がパン作りのためのパンコネ機を作ったという事で、パン作りがとても精密なのですね。
イースト(酵母)もキッチリと科学実験で使うような秤を使って測ったり、(笑)
その際にどうできたかというデータを、気温から湿度まで、記録しているのですね。
生地温も水温も、データで取っていました。まさに科学実験。。
とにかく食パンへのこだわりが凄かった人なので、パンをおいしくする補助食品まで開発してしまったのです。
サラという名前がついてました。
その開発したものをパンに入れると、生地は緩くなるのですが、口どけの良いパンを作ることができるのですね。
そのサラをライ麦で発酵をかけたのが、NSPというもので、種という形で入れるイメージなのですが、
全粒粉みたいなパンになるのです。
すると、「NSPって何ですか?」となりますよね。
実際に大地先生に伺ってました。
それで返ってきた答えが、「NSPは、Newでスペシャルなパン」ということで、
「ええええー!」と驚いたこともあるのですが、(苦笑)
まさに、「パンは科学」というのが、私にとってパン作りの第一歩目だったのです。
ですので、「パン作りは実験で、難しく苦しい」というのが私の第一印象でした(苦笑)
パンヲタクへの道のり
ベーカーズパーセンテージというのがあるのですが、パンの味をこんな味にしたいというイメージがあると、
それに対して、材料のパーセンテージを調整していくのですね。
出来上がりの味をイメージして、それに対してベーカーズパーセントを決めて、レシピを導けるようになったのは、
最初のパン作りを大地先生に習ったからだと思います。
パンのためにオーブンまで開発してしまった人なので、
製パン理論が難し過ぎて、(苦笑)なかなか大変でした。
その教室に10回くらい通いながら、学びました。
また他のパン教室にも、同時に、「体験」と言った形で回って、
入社3ヶ月で、4~50くらいのパン教室は回った会社員時代です。
手ごねの教室がほとんどでしたので、先生たちはこういう風に教えているので、ということで、
大地先生以外の、エンドユーザーの声も聞きながら、訪問&体験しました。
その時に、ものすごくパンを覚えたのですね。
同時に、パン教室がどのように運営されているのかということも、知りました。
私が教室で教える時はパンニーダーを使うのですが、それは、再現性が高いからです。
ニーダーを使うと、手ごねの際の差が少なくなりますので、教える際に良いのですね。
酵母会社に行けば、どういう風に考えて作っているのか、ということも聞けましたし
それは、私が自分の教室で先生に伝えられる知識にもなりますし、
それだけたくさんのパン教室を回っていたのは、良い経験になりました。
その際に回った教室の先生と仲良くなったら、
自腹でレッスン代を払って、月に5~6の教室に通っていました。
毎月の出費は3万から4万ぐらいだったでしょうか?
自分の趣味と実益をかねたパン教室巡りだったのです。
最終的には、150以上の教室を回りました。
私のパンの原点は「パンは科学」という、マニア精神
私は、先生が実際にパン作りを教えている現場を回ることや、ニーダーを開発した大地先生の教室でパンを学ぶ中で、
「生徒さんのニーズとの兼ね合いで、パン教室が運営されている」ということを知ったのですね。
ですので、私にとってパン教室というのは、楽しい習い事というより、日々実験と検証の場だったのです。
「ちょっとパンが好きでした」、という人がABCなどに習いに行って、「パン教室を始めました!」、というのではなく、
1000本ノックというのような感じで、ひたすらにパン作りの実験をするという、泥臭い形で、覚えていった印象です。
訪問する企業がある時にも、その会社で扱う酵母を実際に使って5種類ぐらいパンを作ってから訪問しましたし、
(おそらくそこまでやるパンこね機の営業はいないはずです)
その前段階として、ホームページの内容も隅から隅まで見て、営業に行っていました。
そうすると、どういうタイププランになるかと言うと、
仕事が終わって家に帰って、夜22時くらいからパン作りをして、できあがりが深夜01:00ということもあった訳です。
なので、寝落ちするという残念なこともあったのですが、(苦笑)
その結果、朝になって、食パンがオーブンの中でカチコチになってしまう・・・という事もありました。
こういった様々な経験を積んだおかげで、応用や柔軟性も身に付きましたし、
先生によっては大地先生のように秤でイーストを計る人もいれば、計量スプーンすり切れでやる先生もいたり、
他にもいろいろな違いがあることも、自分の足で得た知識であり、根幹になっている部分でもあります。
そんな中で、集客に困っている先生がたくさんおられるという事で、教室集客の専門コンサルタントになりたいと思ったのですね。
本当に、私は愚直にその時できる事を精一杯やって、という人生を歩んで来ているのですが、
人がやっていない事でも、すごく短時間で吸収していくのですね。
パンニーダーの会社は、パンの知識ゼロから入社していますが、6ヶ月経つ頃には、
「普通のパン教室の先生が作ってきた量であろうパンは作ってきている」という状態になっていました。
大地先生のパン教室で、実験のごとく何度も何度もパンを作っていたからです。
その頃ですね、試食などをしているうちに3キロくらい体重が増えてしまって、(苦笑)
それ以後は、一口だけ味を確認して会社に持ち替えるようにしたりと、していました。
それくらいの量を作っていた、ということです。
実験がベースなので、半端ないパンの量をつくってました。
こういった点も、ガテン系なのかもしれませんが、(笑)
パン教室についても、かなりの数を回っていたことで、どういうパンが生徒さんに好まれるかも分かっていましたので、
自分でパン教室を始める際には、成形に凝ったり、ニーダーを使ったり、酵母もいろいろ使ったりとするのが大好きな、、
いわゆるマニアな人を集めようとしていたのですね。
どれくらいマニアかというエピソードをお伝えしますね。
私がパン教室を回っている頃に、レシピを見た時に味が分かるという先生がいました。
最初は「それはムリでしょう」と思っていましたが、3年くらい経った頃に、私もできるようになったのです(笑)
そうすると、逆もできるようになるわけです。
つまり、頭で思い描いた味を元にレシピを作って、答え合わせをすると、大体あっている、という状態ですね。
ですので、私のコンサルスタイルはマーケティングや集客の話もするのですが、
それを支える技術の部分ですね。
自分で唯一のものを作るので、その知識の端々で、知っていることをお話する形になります。
その中で業界の裏話なども話ができたのは、大きなイニシアチブだったかなと思います。
このような感じで、私のパンは、大地先生からの流れから入ってきているので、
大地先生のおっしゃっていた「パンは科学だ」が、私のパン作りのベースなのです。
ですので、もっとふわっとした、可愛らしい感じの、「パンは楽しい、幸せ」という感じではなく、
「酵母を量るには、てんびんを使う」といった、マニアックでがっつり、という感じがベースなのですね。
そんな感じでやっていったのが、私の経歴としてのパン作りなのです。
タカハシタカコ的 ヲタクなパン作りよもやま話、まとめ
今日は情熱がテーマだという話をしましたが、何か道を極める時は情熱が必要で、
その情熱や、自分が体感したものをクライアントさんに伝えていく、というのが、
商売の基本なんじゃないかなと思っています。
儲けたいなというところからスタートするのは、なかなか難しいですよね。
とは言え、情熱だけでもダメですし、マネタイズもしないといけないのですが、
今後の教室事業というのは、技術だけを教えるのではなくて、先生のパーソナリティーも評価されるようになってくるかと思います。
ですので、その部分も意識されて教室運営をされるのが良いかなと思います。
それに加えて、勉強ですね。
私は月に平均で22日~24日稼働させていたので、パンニーダーの会社を辞めてパン教室を始めてからも、ものすごい量のパンを作っています。
時にはそういった形で集中して、技術を身に付ける時期も必要もあるかなと思いますので、
そんな時は、私のこの話を思い出してみていただければと思います。
ぜひご参考にしてみてください。
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